シンパシーあるいはジェラシーという果実
ある飲み会でのことである。
同席した農家さんが、庭でとれた「ビワ」をふるまってくれた。
枇杷はすきだけど、皮を剥くのがめんどくさい。
そのとき思い出した。
テレビで観た、「ニュージーランドの人はキウイを皮ごと食べるのが常識だ」という話を。
なるほど、「枇杷は皮を剥いて食べるもの」なんて、勝手な思い込みかもしれない。
「今から枇杷を皮ごと食べるよ」
そんな下らない宣言をして、僕は、枇杷を手に取り、皮ごと食べた。
「やっぱりマズい」‥と顔をしかめる
という、みんなが期待を裏切り、皮ごと枇杷は、普通に美味しかった。
僕は偶然にも、すごい事実を発見してしまったのだ。
「あ、うまいよコレ。普通に食える!ちょっとみんなも食べてみて」
この新発見の感動をそこにいた皆と共有したかった。
しかし、そこにいた誰もが、試してもくれなかったし、新しい事実を認めようとはしなかった。
僕がヤセ我慢して、みんなを騙そうとしている
誰もがそう判断しているようだ。
「いや、マジで美味いって!食べればわかるから!」
必死に皆を説得した。
しかし、それは虚しく、誰一人として枇杷を皮ごと食べてはくれなかった。
今でも、枇杷を見るたびに、そのときのことを思い出す。
一体なぜ皆を説得することができなかったのか?
何が足りなかったのか?
何が余計だったのか?
僕の味覚がそもそもズレてるのか?
いや、そんなことはない。
皆は、試してすらいないのだから。
でも、悲観する必要はない。
きっと彼らは、僕のいないところで、ちょっと酸っぱい、皮つき枇杷を食べているに違いないのだから。