微生物イッチーの雑草ブログ

なんの役にも立たないけど刈っても刈っても生えてくる

春の日

あれから何年経ったのだろうか。

7年か8年前だろうか、

しばらく会うことのなかった友が

突然逝ってしまったのは。

 

命日が近づくと何故か彼が夢に現れる。

だから俺は彼の命日を忘れることがない。

何年目かは忘れたけど。

今年は妻を彼に紹介しよう

 

妻をつれて墓地へ行った。

小さな山の上にある古い墓地、

友の墓の前には、思いがけず先客がいた。

 

少し離れた場所で、先客の背中を見ていた。

古ぼけたセーターを着た、猫背で小太りの

さえない中年の男。

手を合わせた後、顔をあげ墓を見つめている。

しばらくそうしていた。

 

男が踵を返したとき目が合った。

「同級生です」俺は挨拶した。

男は「同じ職場だったんです」

と少し微笑んで答えをくれた。

 

男は小さくお辞儀して、

力なく山を下っていく。

その背中を見えなくなるまで見送った。

 

友人の死は、俺やその男の心に

今でも何かを残し続けている

それがなんなのかはわからない。

 

ただ、いまこのとき、ありとあらゆるものが

深い悲しみを湛えている

あの日と同じような

春を感じさせる青い空も。

 

彼が死を選んだその時の夜の闇に

いまこの時がまだ

支配されているような気がしてならない。

 

 

 

 

レンゲ畑

私が子供の頃は、

春になると田んぼは一面れんげ草に覆われていて、その中を駆けて遊んだ記憶がある。

いつからなのか、いまではすっかりレンゲ畑は見なくなってしまった。

レンゲ畑にはミツバチが飛び回っていたし、田植え後の田んぼにはいろんな生き物がいて、

それをつかまえようとして、しょっちゅう田んぼに足を突っ込んで靴を汚して叱られていたが、

現代の集団で登下校している子供たちがそんな遊びをする姿は見かけない。

農業を学んでいるときに、田んぼに咲いていたレンゲ草は、稲作の肥料として農家さんによって種が蒔かれていたことを知った。

それがなぜ今では行われないのか、正確には知らないけど、まあ、とにかく流行らなくなったのだろう。

レンゲ畑は自然にできてたわけでもなく、

景観の為に咲かせてたわけでもなかった。

思えば、菜の花畑も、ひまわり畑も農業の一つだ。

それがたまたま美しい景観を作り出すに過ぎない。

レンゲ畑は人の営みを助けていたし。ミツバチにも蜜を与え、ミツバチもまた人の役に立つ。

田んぼに集まるあらゆる生き物が、

そんな風に、人と共生していたのだろう。

飾りではなく、自然でもない。

営みの美しさ。

そんなものがレンゲ畑にはあったのかもしれない。

 

 

 

サナギのこころ

この時期

ビニールハウスには

テントウムシがふえる。

 

テントウムシの幼虫と、成虫は、

姿がだいぶ違う。

 

完全変態

 

幼虫が、サナギ、そして成虫になること。

その変貌は、

僕の想像力をはるかに超える。

 

トンボは、サナギにならない。

ヤゴから、すぐにトンボになる。

 

サナギにならないで成虫になることを

完全変態という。

 

完全と不完全

サナギになるか、ならないか。

その違いってなんだろう?

 

ヤゴがトンボになるのも

すごい変貌だ。

 

サナギ

その独特の「間」は、

僕たちを驚かせようと、

もったいつけた演出かもしれない。

 

もちろん、そんなわけない。

完全か不完全か、なんてことも

テントウムシにとっても

トンボにとっても

どうでもいいだろう。

 

昆虫たちは

僕たちを驚かすために、

わざわざ、サナギになるわけじゃない

 

サナギから出てきたその姿に

僕たちが勝手に驚いているだけだ

 

僕たちが、もっと目を凝らしたなら

わかってくる

あらゆる生命の営みが、

常に僕たちの想像をはるかに超えている。

 

少年の物語

「学校からの帰り道。

いつも通る浜辺、波打ち際の波の中に、

僕は不思議な物体をみつけた。

近寄って見るとそれは、

驚くほど大きなイカだった。

まだ微かに生きている。

僕は急いで駆けて帰り、

母親を引っ張って連れてきた。

 

母親は、桟橋にいた漁師のおじさんと、

こっちを指先しながら話をしている。

僕は烏賊が逃げないように見張っていたけど、

かなり弱っているのか逃げる様子はなかった。

 

母親とおじさんがやってきて、

おじさんは、その烏賊が

「ダイオウイカ」だと教えてくれた。

「生きているダイオウイカは珍しいので、

市場に持っていってやるよ。」

おじさんと僕は烏賊を船に乗せた。

 

「あんなに大きい烏賊なら、

きっと高く売れるんじゃないかな?」

僕がそういうと、母親は

「どうかしらねぇ」と微笑んだ。

 

次の日、駆け足で家に帰ってきた僕は、

「昨日のダイオウイカはどうなった!?」

と母親に訊ねた。

なぜか、詳しくは教えてくれなかった。

でも母親は、他の兄弟には内緒で、

僕に新しい傘を買ってくれていた。

 

ダイオウイカがどうなったのかは

わからなかったけど、

それよりも新しい傘が嬉しかった。

僕は庭に出て傘を広げた。

そしてそれを、くるくると回しながら

明日の雨を祈った。」

 

妻のおじいさんは、

ちょうど去年の今頃亡くなったけど、

亡くなる少し前に、僕にこの話をしてくれた。

その頃、おじいさんは

認知症が進行してたらしい、

でも、おじいさんの話は明快で、

僕には、その話の情景が鮮明に想像できた。

そして、いつか

この話を文章にしたいと思っていた。

 

僕が生まれるよりも遥かに遠い日の

少年の物語を。

 

 

 

 

君のアントシアニン

幼い頃から紫色が好きだった。

それが何故だか理由はわからない。

 

ただ、絵の具の青と赤を混ぜては、

そこに生まれる様々な紫色に魅了されていた。

 

先日の雨で畦道の植物は、やる気に満ち溢れ、

一際強い緑色を放つ。

 

畑の帰り道。

緑の中に丸く浮かぶ紫色の美しさに惹かれて足を止めた。

 

そして、ポケットから収穫ハサミを取り出し、

アザミを切り取った。

 

その日の午後、テーブルに飾られた紫色の花と、

いつもよりほんの少し機嫌が良い相方がいる。

シンパシーあるいはジェラシーという果実

ある飲み会でのことである。

同席した農家さんが、庭でとれた「ビワ」をふるまってくれた。

枇杷はすきだけど、皮を剥くのがめんどくさい。

そのとき思い出した。

テレビで観た、「ニュージーランドの人はキウイを皮ごと食べるのが常識だ」という話を。

なるほど、「枇杷は皮を剥いて食べるもの」なんて、勝手な思い込みかもしれない。

 

「今から枇杷を皮ごと食べるよ」

そんな下らない宣言をして、僕は、枇杷を手に取り、皮ごと食べた。

 

「やっぱりマズい」‥と顔をしかめる

という、みんなが期待を裏切り、皮ごと枇杷は、普通に美味しかった。

 

僕は偶然にも、すごい事実を発見してしまったのだ。

「あ、うまいよコレ。普通に食える!ちょっとみんなも食べてみて」

この新発見の感動をそこにいた皆と共有したかった。

しかし、そこにいた誰もが、試してもくれなかったし、新しい事実を認めようとはしなかった。

 

僕がヤセ我慢して、みんなを騙そうとしている

誰もがそう判断しているようだ。

 

「いや、マジで美味いって!食べればわかるから!」

必死に皆を説得した。

 

しかし、それは虚しく、誰一人として枇杷を皮ごと食べてはくれなかった。

 

今でも、枇杷を見るたびに、そのときのことを思い出す。

一体なぜ皆を説得することができなかったのか?

何が足りなかったのか?

何が余計だったのか?

僕の味覚がそもそもズレてるのか?

いや、そんなことはない。

皆は、試してすらいないのだから。

 

でも、悲観する必要はない。

きっと彼らは、僕のいないところで、ちょっと酸っぱい、皮つき枇杷を食べているに違いないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

生態系を飾る部屋

ベタという熱帯魚を一匹、小さな水草を一つ、

細かい砂利を敷いた小さな水槽にいれる。

水槽には、やがて、小さな生態系が生まれる。

 

生態系の完成を証明するのは、完璧なまでに透明な水だ。

 

そして、目には見えない完璧に透明な水の存在を証明するのは、小さなLEDの薄暗い照明で光る群青色の魚だ。

それはまるで空中に浮いているかのように水槽の中を漂う。

 

そして、その水槽は何もせずとも何ヶ月も決して濁ることはない。

 

バランスドアクアリウム

そこには、命のバランスの美しさをみることができるのだ。